先読みを
大正時代の奈良。鉄道の駅に山積みされている荷物につけられた荷札に注目する男がいた。「一度使ったら二度使わないもの」つまり「企業にとっては、生産した商品が、継続して大量に消費される事が望ましい」。
1918年、井村福松は21歳で荷札の製造販売から業を興し、急成長を遂げた。 同じ発想で、まだ未成熟部門の封筒にも進出した。 代理店販売の大手メーカーは私信用封筒重点だったので、事務用封筒を重点にして直販した。
惜しまず機械化し、戦争が勃発すると、開拓目標を官庁に置き、物資欠乏、物価高騰の時勢に備えた。
窓空きのプラ窓封筒もイムラ封筒のヒット商品である。
村橋勝子著「カイシャ意外史」より。