井伊直孝
家光の時代、朝鮮に大飢饉があり、救援を乞うてきたため、幕議で米麦を送ることにした。その数量を石で表すことになったが、老中の井伊直孝はひとり、船の数で計ることを主張した。
石で数量を記録すると、それが先例になる。
日本が不作の場合、石数を減らすと、先方の感情を害する。
船には大小があり、豊凶にかかわらず将来も船数を先例通りにできる。
閣議はそれに従った。
この頃、伊達政宗が約50万石を加増すると約した家康の証文の履行を迫ってきた。
直孝は単身政宗に会いその証文を破り焼きすてた。
このお墨付き1枚で60余石の伊達家を滅ぼすのはいかがなものか、と。
(司馬遼太郎著「街道をゆく」朝日文庫)
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